伐木作業の安全対策。「声掛け」だけでは防げなかった大怪我の話

本記事は筆者の林業現場での実務経験および公的機関の情報をもとにした一般的な情報提供を目的としています。症状の判断や治療の代わりとなるものではありません。実際の対応については医療機関・専門家にご相談ください。緊急性が疑われる場合は、ためらわず119番通報してください。
伐区に入って数十分。受け口を入れ終えた作業者から「かかるぞ」の声が飛んだ。木が傾き始める。数メートル離れた場所にいた別の作業者は、いつも通りその場に立っていた——はずだった。
次の瞬間、倒れてきた木がその作業者を直撃した。
自分は少し離れた場所からその一部始終を見ていた。声は確かに出ていた。ルール上、間違ったことは何もしていなかったはずだった。それでも大怪我は起きた。あの日から、「声を掛ける」という行為の意味が自分の中で変わった。
この記事では、声掛けと作業範囲確認が「なぜ形だけになりがちなのか」を、自身の複数のヒヤリ経験と公的統計をもとに整理し、明日の現場から実践できるレベルまで落とし込みます。
三度のヒヤリと、一度の大怪我
伐木作業に長く関わっていると、「危なかった」で済んだ場面が何度もある。自分自身、記憶に残っているものだけで三つある。
一つ目は下刈りの合間だった。近くでチェーンソーを扱っていた同僚の刃がキックバックし、自分の数十センチ先を通り過ぎていった。音を立てて空を切る刃物の気配というのは、一度体験すると忘れられない。
二つ目は間伐中。切った木が予定と違う方向に倒れ、自分のいる場所に迫ってきた。木の重心は、見た目の傾きだけでは正確に読めない。枝ぶりや根張り、風向きまで含めて初めて分かるということを、このとき身をもって学んだ。
三つ目はかかり木の処理中。チェーンソーが幹に挟まって抜けなくなり、外そうとしているうちに木が動き始めた。焦って手を離すのが一瞬遅れていたら、と思うと今でも背筋が冷える。
この三つは、幸いどれも「ヒヤリ」で終わった。だが冒頭の場面は違った。声は出ていたのに、大怪我という結果になった。この差は何だったのか。
「伐木作業」が林業の死亡災害の7割を占めている
個人の経験だけでは「運が悪かった」で片づけてしまいがちなので、数字で見ておく。厚生労働省の公表資料によれば、林業の死亡者数は年間40人前後で高止まりしており、林野庁の統計でも令和5年の死亡者数は29人、そのうち伐木作業中の死亡が22人と全体の約7割を占める。
つまり、林業の死亡災害のほとんどは「木を伐る、その瞬間」に集中している。下刈りや運材でも事故は起きるが、命に関わる場面の多くは伐倒とかかり木処理に偏っている。これは経験則ではなく、公的機関が繰り返し指摘している事実だ。
だからこそ、冒頭のような場面は「たまたま運が悪かった一件」ではなく、林業に関わる誰にでも起こりうる、構造的なリスクとして捉える必要がある。
声は掛けた。それでも、なぜ届かなかったのか
労働安全衛生規則では、伐倒作業について具体的な数値が定められている。伐倒者の退避場所は「伐倒方向の反対側の上方で、伐倒木から3m以上離れた立木の陰」とされ、木が倒れ始めたら直ちにそこへ退避することが求められる。平成31年の改正では、受け口(伐倒方向を作る切り込み)を作るべき対象が胸高直径40cm以上から20cm以上に拡大され、かかり木についても「速やかに処理すること」が事業者に義務付けられた(京都府の解説ページ、林業・木材製造業労働災害防止協会の規則解説)。
ルールとしては明快だ。だが現場で起きる事故の多くは、ルールを知らなかったからではない。「声は掛けたが、相手が今どこにいるか、掛けた側が正確に把握していなかった」というズレから起きる。
下刈りや間伐は、作業者同士がずっと同じ場所に固まっているわけではない。数分前に確認した位置と、今いる位置がずれていることは普通にある。「かかるぞ」と声を出すこと自体は徹底されていても、その声が「今ここにいる誰に向けた警告なのか」が曖昧なままだと、退避が間に合わない。声掛けは、出すことがゴールではない。相手の応答と位置を確認して初めて、安全確認として機能する。
「形だけの声掛け」にしないために、現場で決めていること
あの一件のあと、自分の現場では次のことを徹底するようになった。特別な装備も予算もいらない、今日からできることばかりだ。
- 伐倒前の声掛けは、応答を確認してから。「かかるぞ」に対して、周囲の全員から「よし」の返事が返ってくるまで、伐倒動作に入らない。返事がない場合は、姿が見えなくても声だけの人任せにせず、実際に見に行く。
- 作業開始前に、その日の作業範囲を全員で共有する。誰がどのあたりで何をしているかを、口頭でもいいので朝礼で一度言語化しておく。数分前の記憶に頼らない。
- かかり木は先送りにしない。挟まって処理に困った状態のまま作業を続けず、危険を感じたら一度全員を退避させてから対処する。別の木で押し倒す「浴びせ倒し」は、規則上も現場の実感としても避けるべき方法だ。
- 巣の発見や事故一歩手前の出来事は、日報に残す。「今日、ここでヒヤリとした」という記録は、次にその場所に入る人の安全に直結する。
- 万一大怪我が起きたときのために、救急セットを現場に備えておく。声掛けと確認をどれだけ徹底しても、事故そのものをゼロにはできない。
一つひとつは地味なルールに見える。だが、目の前で人が大怪我をする場面を見た後では、この地味さこそが命を分けるのだと分かる。
あの日、止められなかった木
あの日、目の前で倒れてきた木を自分は止められなかった。声は出ていたし、規則違反もなかった。それでも大怪我は起きた。この事実は、今でも重く残っている。
伐木作業の安全は、規則を知っているかどうかではなく、「声を掛けた後、相手の反応を最後まで見届けたか」で決まる。次に現場に入るとき、隣にいる人の位置を、声に出して確認してから伐倒を始めてほしい。それだけで防げる怪我が、確実にある。
ここで書いた対策は、いずれも「声を掛ける相手がいる」ことが前提になっている。一人親方として単独で伐木にあたる場合は、単独作業のリスク管理もあわせて確認してほしい。
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